アトピーは「自分で治す病気」
「アトピー性皮膚炎」と診断されたのは15歳。それから33歳で完治するまでの18年間、私の人生はこの病気に振り回され続けた。
熟睡できること。
他人の視線を気にせず済むこと。
半袖のTシャツを着ること。
こんな些細なことを願い続けていた。
2歳。アトピーが顔に出てから、私は人生を転がるように堕ちた。
患者の数が少なく、社会的にもまだ認知度が低かったあの時代、アトピー患者を取り巻く環境は今とは別世界だった。
真っ赤に腫れた顔から粉を噴き、慢性的な寝不足からウツロな目をした私の姿は異様だったに違いない。
「不潔!」
「きたない!」
人の想いは口に出さなくても、わかるものだ。
「これはオレの本当の姿じゃない!」
本来の自分とアトピーの自分。
このギャップに苦悩する人は今も多い。そして私が、最後まで自分のことをアトピーと認めなかった理由もここにある。
30歳、脱ステを試みた結果、強烈なリバウンドを食らった。全身火傷のような痛みから緊急入院を余儀なくされた。
「何が悪いのか?」
「どうして自分だけこんな目に逢うのか?」
病院のベッドから天井を見上げていると、やり場のない憤りが込み上げてきた。
本来なら、あの地獄の苦しみから解放された今を素直に喜べばよいのだろう。だがアトピーだった18年間を振り返ると、治した喜びより悔しさや憤りの方が先にくる。
この後味の悪さは何だろう?
アトピーと言えば、その強烈な痒みが特徴だ。確かにアトピーの痒みは独特で辛い。だが、この痒みだけに目を奪われると、この病気の本質を見誤ってしまう気がする。
今、思い出すだけでもいろんなことがあった。
真っ赤な顔をして、痒くて、恥ずかしくて、悔しい。
アトピーであることを認めず「全然大丈夫!」と言うフリをして生きるのは辛かった。
そして「いつかは治る」と言う期待と、「いつになったら治るのか」と言う不安の中で身も心もボロボロになった。
「努力すれば報われる」
自分達の世代はそんな風に教えられて育った。そして、このことは必ずしも間違いではなかったが、アトピーは違った。
事実、私のアトピーはいくら努力しても一向に良くならなかった。
努力、忍耐、根性。
この類は、アトピーとは相性が良くない。
それより「当たり前のことを当たり前に淡々と続ける」。こちらの方が圧倒的に効果的だ。そこには努力も根性も忍耐も必要ない。
と言うか、
こんなことをわざわざ意識しなくても続けられる「日常レベルの習慣」こそが大切なのだ。
アトピーは「不治の病」ではない。また症状をコントロールするだけの病気でもない。ましてや「一生お付き合いする病気」なんかでは全然ない。
そうではなく、アトピーは「治そう!」と決心して、普通に治せる病気なのだ。
今、アトピーで苦しんでいる人に、この事実だけは伝えておきたい。
飛鳥 旬