本格的に症状が顔に出始めたのは1989年、28歳の頃だった。
最初は眉の周辺、それが額に広がった後は一機に顔全体が痒くなった。顔は体と比べても悪化するペースが極端に早かった。
接着剤を塗られたように、顔一面の皮膚がバリバリに突っ張った。
夏は真っ赤に腫れ上がり、冬になると粉を吹く。それは10年前、ピンクの錠剤を求めて堺市の病院を訪れた時に見た、あの重症患者の姿そのものだった。
この頃になると、痒みはもう時と場所を完全に選ばなくなっていた。
「顔を掻く」と言う行為は意外と目立つものである。いや、目立つだけでなく他人をイライラさせることに気付いた私は、「自分がアトピーである」ことに対してどんどん自覚的になっていった。
アトピーが顔に出て以来、私は映画を観に行かなくなった。冠婚葬祭も可能な限り控えた。そしてあれほど楽しみにしていた小学校時代の同窓会も欠席した。
アトピーが顔に出る以前、私は自分がアトピーであることを周囲にも告げていた。
それはアトピーと言う病気の情けなさや他人に与える不快なイメージを認めても、それが「自分の全てではない」と言う気持ちを維持することができたからだった。
ところがアトピーが顔に出て以来、この感覚は一挙に崩れた。
本来の自分よりも、アトピーの自分を意識する時間の方が圧倒的に多くなったからだ。
この時以来、私は「自分がアトピーである」と言う事実を封印した。
この惨めな顔の持ち主は自分ではない。
アトピーの自分を認めることで毎日の生活が成り立ってしまうと、もう二度と本来の自分には戻れないような気持になっていた。
1日中、アトピーのことばかり考える日々が続いた。
私の場合、特に顔の左側の炎症が酷いことから、誰かと向き合う時は相手の正面ではなく、必ず顔の右側が見えるポジションを選んだ。
こんなことを繰り返しているうちに、私は自分の生活の中にアトピーが土足で踏み込んでくることに耐えられなくなった。
多分、この頃の精神状態は普通ではなかったと思う。
この点に関しては「アトピーなんて知りません」と言ったフリをするのではなく、アトピーであることを自他共に認め合える環境を作った方が楽だったように思う。