道のり10 バブルとアトピー

1985年 私は社会人になった。

この年、ディスコ・マハラジャが大流行。そして翌年、日本経済は昨年までの不況が一転。V字の回復を遂げる。いわゆる「バブル景気」の到来だった。

営業職としてスタートした私は、先輩と一緒に顧客を訪問する日々。それは新鮮な毎日だった。

ところで、このバブル景気は今までの循環型の好景気とは桁が違っていた。

工場は増産につぐ増産。
いくら残業しても、受注に追いつかない。倉庫から製品がどんどん消え、遂に在庫が底をついた。

こうなると営業の仕事も尋常ではなくなった。

販売のための営業活動ではなく、欠品のための謝罪が日常化し始めた。

来る日も来る日も、頭を下げるだけの毎日。と同時に、私は会社の業績が急上昇ていることを肌で感じていた。

昇給は勿論、ボーナスも確実に増えた。また当時はボーナスを頭金にローンを組めば、新入社員でも大阪で3LDKの新築マンションが購入できた。

「凄い!」

マンション、家具、家電製品、食器に至るまで、何もかも新品。数か月後に結婚する妻の笑顔を見ると、素直に喜びが込み上げてきた。

アトピーのことは常に頭にあった。事実、アトピーが日々の生活の手枷足枷にもなっていた。

それでも就職と結婚言う人生のイベントで、私は申し分のないスターを切れたように思う。

が、順調なのはここまでだった。

この頃を境に、私のアトピーは悪化の一途を辿ることになる。

鞄の中にはいつもステロイド。

周りは5キロ以上体重が増えた私を見て「幸せ太り」と冷やかしたが、その本当の理由は自分が一番よく把握していた。

慢性的な過食が続いていた。

仕事+アトピーの悪化でイライラするストレスを、食べることで発散していたのだ。

お腹が減ったから食べるのではなく、ステレスを発散するために食べる。その後もこんな状態が続いた。

「オエッ!」

朝、歯を磨く時、いつも吐き気がした。明らかに昨夜の食べ物が消化されていない。体調も最悪だった。

「倦怠感」

この言葉はまさに自分のためにあるようなものだった。薬局で市販の栄養ドリンクなんかを飲んでみたが、何も変わらなかった。

この頃、既にアトピーは全身に広がっており、症状が出ていないのは顔と手の平と足の裏くらいだった。

この現実を裏付けるように、アレルギー検査の数値も劇的に悪化していた。

この頃はステロイドの外用薬と抗ヒスタミン剤の服用で何とか睡眠を維持していたが、大変なのは出張の時だった。

私の担当エリアは四国。で、隔週ベースで出張するのだが、当時はまだ瀬戸大橋が完成しておらず、フェリーに泊まり込んで出発するのが一般的だった。

ところが、このフェリーでの宿泊が私のアトピーとは相性が悪かった。客室のベットに横になった途端、猛烈は痒みに見舞われるのだ。

持参したステロイドが底をつき、急遽、国道沿いの病院に駆け込んだこともある。

とにかく、アトピーは公私において私の手枷足枷となった。

気が付けば、地元と出張先(四国全域)の病院の診察券が同じ数になっていた。