甲田先生の本は衝撃的だった。
初めて読んだときの高揚感は、今でもはっきりと憶えている。今までのモヤモヤがスッキリ解消された気分になり、「これなら治る!」と救われたような気持ちになった。
その後、自己流ながら「甲田療法」に取組んだ。
だが、やればやるほど直接甲田医師の診察を受けたくなり、直接、大阪八尾市にある甲田医院を訪れた。
当時、甲田医院の評判は全国的で、診察を受けるとなると、半年以上待たなくてはならなかった。
そこで、私は一策を講じた。
今思い出しても冷や汗が出るのだが、私は入院の手続きを取らず、直接、甲田医師に直談判を申し出たのだ。
診療時間外にも拘わらず、私は医院のインターフォンを押した。
「アトピー患者です。先生の本を読んで来ました」
必死だった。当時の私は、もう周囲が見えないくらい追い詰められていた。
「ちょっと待って」
応対して頂いたのは、甲田医師その人だった。
「どうぞ、入って下さい」
驚いている間もなく、いきなり診察室での診て頂くことになった。
保険証の提示、問診票への記載など全くなし。診察室には医療設備的なものは見当たらなかった。
ベッドの上で横になると、早速、診察が始まった。
腹部のあちこちを押しながら、何かを確認されているような診察だった。
「宿便ですわ。コレが取れたらアトピーはまず100%治りますわ」
根っからの関西弁だった。
いや、そんなことより今、甲田医師は「治る」と言ったよな!?しかも「100%って言ったよな!」
私は、医療機関で初めて「治ります」と言う言葉を聞き、そのことに対して感動していた。
その後、甲田医師は「処方箋」と書いた一枚の紙を手渡した。
「・・・・・・・・」
今度は、この処方箋を見て面食らった。
普通、処方箋と言うのは薬を処方するためのものだと私は理解していた。
ところが、この処方箋には薬の名前は一切ない。その代わりに、朝、昼、夜の食事のメニューが記してあった。
しかも食事のメニューと言っても、そこには玄米と塩と胡麻。それに指数種類の野菜をベースにしたジューズが載っているだけ。
診察は10分程で終わった。
ここで、私は更に驚いた。
診察代を支払おうとする私に対して、甲田医師は「かめへん、かめへん」と手を振り、全く診療代を受け取ろうとされなかった。
「こんな診察アリか・・・」
で、その後、結論から言うと、私は甲田療法を続けることができなかった。理由は単純。厳し過ぎて、私には実践できなかったのだ。
それでも私が甲田医師との出会いで得たものは多かった。
その中でも特に大きかったのは、「アトピーとの向かい合い方」だった。と言うのも、それまでの私は、医者が治してくれるものだと思っていたのだが、甲田医師との出会いから、「アトピーは自分で治す病気」と言う気持ちが強くなった。
そして、この考え方は今も私の中にしっかりと根付いている。