「その日」は遂にやってきた。
退院してから丸1年が経過した翌年の4月。バーッと顔全体が赤くなった。
「やっぱり来たな・・・」
予感みたいなものはあった。昨年末から年始の間に会食の席が続き、空腹を感じる前に食べる機会が増えていたからだ。また食事の量も明らかに増えていた。
しかし、私は慌てなかった。
こうなることを予期して最初から長期戦で挑んでいるのだ。今回の悪化は「織り込み済みのシナリオ」に過ぎない。
「ひと月だな・・・」
「ゴールデンウィーク前には終息する」
改善するタイミングまで予想できた。
身体が落ち着くところで落ち着き、外部環境が整えば症状は消えるのだ。今回の外部環境は春になって芽吹いた植物の花粉だと想定した。
ひと月後のゴールデンウィーク直前、案の定、アトピーは終息した。
ちなみに、この時に悪化したのは顔だけ。身体は全く問題無かった。
私の場合、症状が最後に出たのは顔だったが、治るのが最後だったのもやはり顔だった。
「やれやれ・・・」
その年、アトピーが再び悪化することは無かった。が、その時点でもまだ私はアトピーとの戦が終結したとは思っていなかった。
「必ずもう一波乱ある」
そう思いながら、気を抜くことはしなかった。
予想通り、翌年の4月。
昨年と全く同じ時期にアトピーは再び悪化した。前回同様、その時も悪化したのは顔だけ。しかも赤みを帯びたのは額と左のコメカミだけ。身体は全く大丈夫だった。
「これなら長くて半月だろう」
前回同様、ステロイドを含めて薬は一切使わなかった。
予想に反して、今回の悪化は1週間でケリがついた。と同時に私は初めて、アトピーとの戦いを制したと感じた。
事実、この時以降、私のアトピーは今日(2021年8月)まで再発していない。
長い戦いだった。
が、何かが終わる時なんて、いつもあっけないものなのだ。
劇的なことなんて、何も起きなかった。
便通が整って、元気になって、皮膚の炎症が消えて、痒みがマシになって、熟睡できるようになって、最後はどす黒く変色した皮膚も元通り。
アトピーが治る過程なんてそんなもので、劇的なものは何もない。
それはイチロー選手の大記録が、一本の安打の積み重ねだったようなものだ。
自分がアトピーで苦しい思いをした時、誰かの克服体験談をよく読んだが、そこにはこんな風に記されていた。
「アトピーは辛くて本当に苦しかった。でも克服した今はアトピーに感謝したい気持ちです」と。
正直な所、私にはこの感覚がない。
アトピーになって良かったことが何もないからだ。だからアトピーに感謝する気持ちはない。
本当はアトピーなんか知らずに済ませられるなら、それに越したことはない。が、もし運悪くなってしまったら、その時はとっとと治してしまうに限る。
これが、私の本音なのだ。