手を伸ばせば届きそうな願いや幸福。人生にはそんなチャンスが一瞬で吹き飛んでしまう瞬間がある
「このままでは治らない・・・」
15年間使用したステロイドを「切ろう!」と決心したのは30歳。
世間では、ステロイドへのバッシングが過熱。
ステロイドは「悪魔の薬」と呼ばれ「廃人説」まで出る始末。患者が皮膚科医に詰め寄る事態まで発生した頃の話だ。
キッカケは薬局の無料カウンセリング。
「ステロイドの毒を出し切らないと治らない」
「症状は一時的に悪化します」
「でも、それは好転反応」
「これを乗り切れば大丈夫!」
「一緒に頑張りましょう!」
自称「漢方医」を名乗るカウンセラーは自信に満ちていた。
アトピー患者を対象に無料カウンセリングを開催、ステロイドの恐怖を煽る一方、自社の製品を売りつけるビジネスが登場したのもこの頃だ。
ちなみに、医師免許の無い者が医師を名乗ることは違法行為だが、当時はステロイドバッシングを背景に「何でもアリ」の時代だった。
「ステロイドを切ればアトピーが治る!」
キッカケがこのカウンセリングだったことは間違いない。またマスコミや民間療法によるステロイドバッシングも背景にあった。
だが決定的なのは、このまま治療を続けても治る可能性を見出せなかったこと。これに尽きる。
外出時はいつもステロイド持参。
食事を抜くことはあっても、ステロイドを塗らない日はない。元々、アトピーをコントロールする筈のステロイド、気が付けば自分がコントロールされる側になっていた。
当時、私の生活はステロイド無しでは成り立たず、このことも日々のストレスだった。
当然、不安はあった。
ステロイド離脱にはリスクが伴う。
私の場合、リバウンドは覚悟の上だが、下手すると職を失う可能性もあった。
1週間悩んだ。
1991年12月。
私はステロイドを切る決心をした。
「ステロイドの悪い毒が出尽くせば治る!」
カウンセラーのこの言葉に賭けた。
当時、どうしてもアトピーを治しておきたい理由があった。
翌年の4月、栄転の話が出ていたのだ。
既に内示は出ていた。
ここでアトピーと決別できれば、私の人生は輝かしいものになる筈だった。
「目安は3か月!」
「ここを乗り切ればもう大丈夫!」
カウンセラーの言葉は魅力的だった。
「まだ間に合う!」
「とにかく3か月!」
「その後は新しい世界が待っている!」
新しい職場、そこにアトピーの自分はいない。
気持ちは高まった。
が、それは地獄へと向かう一歩となった。