
「アトピーになったことに感謝しています」。アトピーの体験談にこんなコメントが載っていた。でも私にはこの感覚がない。「アトピーなんてなるんじゃなかった。」これが私の本音だ。
心に残るメール
アトピーが治って何が嬉しいかといえば、やっぱり「痒み」が消えたことですね。
何だかんだ言っても、すべてはこの「痒み」から始まったのですから。
息子を見ていて、咳やクシャミには無神経な私が、虫に刺されて掻いている姿には神経質になってしまう。おそらくこの癖、一生治んないと思います。
「掻く」という行為に対して、無意識に反応してしまうのです。
痒みのない生活。
それは長い間、私の念願でした。
「アトピーを治したい!」
そんな風に思っている人が、この国には驚くほどたくさんいます。
そしてメルマガを配信していると、今も多くのメールを頂きます。で、そんな中、今も心に残るメールのやり取りがあります。
アトピーは治してナンボ
あれは2003年の夏。
30代半ばの女性からのメールでした。
彼女は重症のアトピー患者。全国の病院を渡り歩き、入退院を繰り返していました。
僅かな希望と絶望の間をさまよい、彼女はたったひとりでアトピーと戦っていました。
定職に就けず派遣で食い繋ぎながら、まとまったお金ができるとすべてをアトピーにつぎ込んでいました。
彼女からのメールはほぼ毎日。
そこには、彼女が歩んできた人生が綴られていました。
恋愛、仕事、家族。
彼女がアトピーのために失ったものは大きかったようです。その一方で医療機関に対する不信感、不満には凄まじいものがありました。
感情的な部分はありました。でも彼女の言い分には筋の通っていることが多く、私自身、共感できる点も多かったのです。
「その通りだ・・・」
彼女のメールを読みながら、私は相槌を打っていました。
男女の違いはあれ、彼女と私は性格的にも共通点が多かったようです。
それは極端なくらい物事を「善」と「悪」のどちらかで判断する傾向が強いこと。物事に白黒を付けず、グレーのままにしておくことが苦手な性格だったのです。そして「損得勘定」に疎いこと。
この点でも、私達には共通点がありました。
ある日、メールの中で彼女の医療機関に対する不満が爆発しました。
それはもう、今までのタガが完全に外れたような勢いで、アトピーが治らない理由を彼女の性格であるかのように言われたことへの不満でした。
「あの医者の発言は間違っている!」
「私のアトピーは性格とは関係ない!」
この時、私も過去に同じような経験があったことを思い出していました。
しかしこの時、私は自分の感情を押し殺して、敢えて俗物的なコメントを残しました。
医療機関との付き合い方は「善悪」ではなく「損得」を前提にした方が良いと。
アトピーを治すために、医療機関は上手に活用するのだと。
すると、彼女からのメールがピタッと途絶えました。
「気に障ったのかな?」
その後も、彼女からメールが来ることはありませんでした。
ところが、2006年9月。
突然、彼女から3年ぶりのメールが届いたのです。
少し緊張しながらメールを開いてみると、そこにはこんな風に綴られていました。
「飛鳥さん、私の人生に奇跡が起きました!」
「私の体からアトピーが消えたのです!」
「アトピーなんてもうこりごりですね。」
彼女のアトピーは消え、オーストラリアで1歳になる娘さんとご主人に囲まれて、幸せな生活を過ごしているとのこと。
そしてメールの最後は、こんな風に締めくくられていました。
「善悪に拘らなくなると、気持ちが楽です」
「それに子育ては善悪だけではできませんから」
私は、彼女に逢ったことありません。
また彼女がどうしてアトピーを治したの?このメールからはよく分かりませんでした。
でも、「もうそんなことどうでもいいや!」って思いました。
それより何かが通じたようで、そのことが少しだけ嬉しかった。
私がアトピーだった時代、医療機関に対するアトピー患者の不信感はその背景にステロイドが潜んでいるケースが多かった。 でも医療機関に対して不信感を抱くの避けた方が良いって思うんです。
その理由は、そーゆう感情そのものがアトピー治療の邪魔になるからです。
そんな「善悪」の感情なんてどうでもいい。
それより元気で、より良く生きてゆくことの方がずっと大切。そしてアトピーで苦しむくらいなら、もっと他のことに目を向けている方が人生はずっと有意義です。
でも、もしアトピーになってしまったなら、それはそれ。
次は、治すことに専念すればいいだけだから。
結局、アトピーは治してナンボ。